直しました

あんまり直ってないんですが(意味ないじゃん)。言葉のおかしいところを直して、少し書き足した程度です。あの時つながりのなさに絶望して「もう少し待って」と言いましたが、改めて考えてもあんまりマトモな方向に転がるようなラッキーは見出せなかったので。ではでは続き、empty tears。







|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||

※アルバム作成時まだファンでなかったこともあり、どのような姿勢で各曲をお作りになったのかだとかそういった情報ナシで書いております。ご了承ください。
また、文中で現紹介曲の引用はこの色で、このアルバム中の歌詞だけれど紹介曲ではない曲からの引用はこの色で示しています。その他はただの強調です。引用について正規表現はしていませんが、特に記述のない場合全てSuite November/TETSU69内のどれかです。著作権上問題のないように気を使ってはいますが、至らない所はどんどんご指摘御願いします。(歌詞間違うことは…ないと思いますが、もしもの場合は御願いします)

|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||



Suite November

Suite November





7. empty tears

うーん、この歌は何か難しい。というか、短いから、先日とのギャップが…。思い入れはそりゃカカシさん大好き精神の関与する余地はありますが、この歌(曲)も凄く綺麗なので軽々しく思っているわけでもないんですよ。あと、「僕」の戸惑いが凄くあらわれているためか、言っていることそのものまで「戸惑ってる」(全言語化の罠)。とりあえず混乱しまくっているのはわかります。
…と、歌詞については後に回すとして、まずは曲から。これはもう、どこをどう迷う必要もありません。あの間奏の盛り上がるストリングスは、聴いていて鳥肌がたつ。旋律に戦慄…というわけではないんですが(くだらん)、とても綺麗なものを見たり、感じたりした時にゾワワッと来るあの感じ。オーソドックスに上手だと思いました。
とは言え、歌っている間の後ろで淡々としている調子も結構素敵なんですよ、それが間奏に入った途端「これでもかっ!」と強くなる。弦楽器は本当に優しく激しいですね。

で。歌声。これは、アルバムの中でも、今のTETSU P'UNKに一番近いと…思います(違ったらすいませ…!)。だからある意味、「パンクはいいけど69は…(そういう人もいるにはいるはず)」な人にはオススメかなぁ。この次の15 1/2とかも結構イイセン行ってると思います。とりあえず私はかなり好きです、この頃の方が声の変動が大きいですけど、この歌の内容ならベストなのでは。
と言うことで、全体的に好きなのですがいつものようにフレーズ抜き出し太字で。何か・・・何度もこういうことをしていると、本当に自分の細かい気持ち悪さが情けなくなってきますね(苦笑)
「空っぽのこの胸をどう埋めればいい?」「君の面影」「夢が切なくこぼれ落ち」「僕には出来ない判りたくないよ」「諦めることでしか伝えられない」「遅すぎたよ全て」。いつもより更に細かくなっております。「て」て!(笑)

お次は歌詞。これ…前提がわからない。というか、大前提だと思ったものがひっくり返って全然「大」どころか小前提化しているから何が大前提なのかがわからない…「何が嘘で何が真実なのか判らない」状態に(笑)まず印象としては、独りきり、一人ぼっち、取り残されて独りで呆然としている「僕」のイメージ。とにかく、しっかりした意思を持ってそうではない。一見呆けているけれど、喪失感をもてあましているというか…ショック、そのものではなくて、その後と言う感じです。ひきずっているような。体育座りして嘆いている感じでもない。とにかく、「昨日」から今日への変容が唐突で、戸惑いの強さが凄く伝わってきます。
そして、「滲んで見えない」のはストレートに視界の歪む液体が双眸を満たしているからなのでしょうが、副次的な意味に思いを寄せてみますと、「直視できない」と言うことなのかな?私個人の「過ぎ去った記憶」見解では、幸せにしろ不幸せにしろ、喪った想い出はより鮮明になることが多いんじゃ?と思うんですが、それが「滲んで見えない」のは、逆に辛すぎて目にすることすら出来ないからなのか?と。よく知る感情に即して考えるなら、その辛さの原因が「僕」だから、いたたまれなくて辛いのかなぁ。「嘘」じゃないと思うんですよ、今更欺瞞はないでしょう。それが暴かれたことが現在に通じているのですから。…でも、「判りたくないよ」ということは、薄々わかってるけどまだ「気付かない振りをずっとしてい」るのでしょうか。
そして「君の面影」「痛み」ってもしや、ひっぱたかれた?(嘘嘘/笑)この「面影」、何か物のような気もするけれど、個人的にはどちらかと言えば「僕」の体の一部かな?と思います(やらしいです)。まぁ別にそんな露骨なことじゃなくてね、手を繋いだその指だとか、何かしら接触のあった所と言うことです(墓穴)。しかし「消せない寂しさ」ということは、「面影」「寂しさ」なのかな?同様のものになったと言うことかな?象徴…でしょうかね、「面影」の存在はイコール現実(リアル)の不在ですから、イコールを繋げると「寂しさ」になるような気も。「面影」に愛しさよりその次の感情を思う辺りテツさんだなと思ってしまいます(失礼)。
さて、細かいことを言いますが、「伝えきれない」は「伝える」「きる」の複合動詞ですね。この場合の意味は終結でしょうか。でも、これで想像できる「できない(状態で終結している)」理由は、1.(たくさんありすぎて全てを)伝えることができない 2.(何らかの問題があり現実的に技術の問題で)伝えることができない の二つが考えられますが、どっちでしょうか。もし1なら「流れる」のは「溢れる」から、しかし「空っぽのこの胸」ということは「溢れる」だけではすぐに「空っぽ」にはなりませんよね。まさか底に穴が?それとも底がない? …すげぇダジャレじゃねぇかっ!!(爆笑/ごめんなさい言葉が荒れました) ”底無し”の想い故に流れて消えたってことですか…!? いやいやまさか…そんなまさか…。
…気を取り直して。「想い」「流れ」出て「空っぽの」「胸」になったんですよね。……でもおかしい。「流れるもの」は、じゃぁどこから「流れ」ていると?「空っぽの」「胸」なのに?「夢」は、「こぼれ落ちて」「足元で踊る」からすると、滴のメタファー…とすると、素直に受け取れば「夢」「涙」のことですよね。ということは、「想い」もイコールで結ばれるはずじゃ……あ、「流れるものは涙じゃなくて伝えきれない想い」ということは、「想い」はまだあるわけですか。「空っぽ」なのは「夢」「涙」の喪失のあらわれですか。「想い」はいつまでも「流れ」るのに、「空っぽ」…。「想い」を以って「胸」「埋め」ることはできないんですね、「僕」は。「穴があいた」ではなく、「空っぽ」ということは、全く何も存在していないわけですよ。ということは、「僕」は、「想い」の対象によって「僕」のものにし得たものがないということでしょうか。誰か、何かでもいいですが、心を傾けたものがある場合に、もしその対象を失くしてしまっても、それまで傾けていた時間に「自分のもの」にできたものは絶対にあると思うのですが…まぁこれ直後の混乱期だからわからないだけか…(とは言え、テツさんが「直後」の「混乱」で作ったわけではないだろうという推測から、非常に恐ろしい答が可能性としてはじき出されるのですが…あえて全ては言いません…悲しいから…)。
…もう一度気を取り直して。「気付かない振りを」「逃げたかっただけ」のくだりは、「逃げたかった」から「気付かないふりをずっとしてきた」、その「気付かな」かったものは「信じたくない」もの、「僕」にとって「信じ」ると嫌なものということでしょうか。でもそうなると…「昨日までの幸せな日々」「嘘」そのものになるのでは…?えええええー(焦)!大前提が崩れますよ…!
…でも、その後の「もう二度と君を」のあたり、言葉尻を捕まえるなら最低「一度」はあったということですね。じゃぁ完全なる「嘘」でもないはず。しかし(否定の連続は文章が破綻しますよ!)…「胸」「空っぽ」で、「empty tears」…つまり「空しい涙」。 全否定ですか? 「胸」から出て行くものも空しいもので、唯一残る「想い」も、「空っぽのこの胸」「埋め」るに足らない空しいものなのならば、「僕」の存在が「幻」「幻」だけ取り残されている? …もう気を取り直せないよテッちゃん…!


「?」「?」と、ある意味一番クエスチョンが続きます。まとめれば、「嘘」「昨日まで」じゃなくない?「幻」って「昨日までの幸せな日々」「嘘」の…?「empty tears」って、空しいのは「僕」「僕」「幻」なの?だから「残」ってるの?
疑問符の連続が意図的にせよそうでないにせよ、内容と外形がここまで一致しているのも凄いと思いましたよ。あと少し気になるのが、今までの歌だと、それなりに強調部分があったわけですが、この歌の場合…ほとんど淡々?でもないんですが、全体的に切なさを滲ませつつ「一番強調したい所」というのがわからないような、線で繋ぐと結構平坦な感じなんですよ。歌詞も結構繰り返しが多く、でもこの繰り返しの歌声こそが強調表現であるとするなら凄く切ない。突如訪れた(感じた)絶望に只管立ち尽くしている…そう、SCARECROWでもありましたが、「立ち尽くす」っていうその微妙な状態が一人ぼっち感、取り残されてる感とあわせて非常に見てて寂しい。広い荒野を…っていう。上で「嘘」「幻」だとごちゃごちゃ言ってしまいましたが、どちらにせよ現段階で「僕」が非常に強い無力感、絶望感、喪失感を感じていることには変わりはなく、結構「その状態が続いている上で抵抗、諦観」という他の歌のスタンスと違い、生々しい感情の露出であると思います。




…あんま直せなかったや。とりあえずツッコミ所についてはセルフツッコミはやめときます、無駄に長くなるから…。うん、何かまだ釈然としない。でも、この「釈然としない」「整然としない」感覚も、「剥き出しの感情」を哲学することなく滂沱するこの歌においては「考えるな、感じろ」なのでしょうか(笑)