現実が見えなくなるけど

それ以外のものが見えてたり、見えてなかったりもするのでしょうね。ただ、それ以外のものが何かはよくわからないけれど。自分が知っているものや、感じていること以外が存在することを知っているから、言い切ることは少し怖いのだけど、それでも言い切る人はとてもキレイに見える。コレは前にも言ったと思うけど、「何でキレイ?」ていうのが、もやもやとした霧の中で一筋何か色がさす、あるいは何もなくなる「鮮やかさ」みたいな感じで。鮮やかだから目が痛くなることもあるけど、背けたくなることもあるけど、それでもやっぱりキレイだと思います。



叫びだしたい時に、「あああああ!」ではダメなんです。「い」とか「う」ならいいの?ってわけじゃないですよ。意味のない言葉を吐くのはイヤだということ。でも、意味のある言葉を吐きたいわけじゃない。意味のある叫びを聞きたい。意味のある叫びは吐きたくない。でも、意味のない言葉を吐くのはイヤだ。意味のない叫びを聞くのも。自分が自分に対して思う気持ちの中でね。発達段階で、幼児期に自分の中でだけ生成されている社会的には通用しない言語を話すことがあるのですが、それは無意味な独り言ではなくて、自分の意思や考えを確認する、自分自身が話者であり聴者であることが外観に現れているという時期なのですね(ちょっと違ったかも)。内言と外言と言いまして、外言は書かれたり話されたりして人に伝わる形の言葉、内言は自分の中で思う言葉です。外言は相手に発して伝えるための手段であるのに対し、内言は発してそれを受ける役目も果たすと言う。上の叫びはそんな感覚で、言うなれば内言の叫びでしょうか(矛盾ですが)。叫ぶけど、叫ばれる。叫ばれるために叫ぶ。でも意味を調整すると、叫ばれる自分と叫ぶ自分が「同じである」と強く意識してしまうからイヤだ。そんな感じです。

別に何かあったとかそんなことはないんですけれども、今かつてないほどに鉄六さんが好きで好きでしょうがなくて引きずられてる気がします。今まで、虹さんのテツさんと鉄六さんは「同じくらい好き」あるいは「虹さんのテツさんの方が好き」だったので、六な鉄さんをこんなに回転させることはなかったんですよ。だから鉄六に沈むのもここまでひどくなかったんですが…。それに昔なら7.5とWWで少しだけでも浮上してたんですが今はそれすらも全くない。まずWHITE OUTからWWに移ってる時点でWWの前向きが全く信じられない。というか信じられるけど前向きな「前」ってどこ?な感覚がある。7.5だって同じ。WHITE OUTで全体が引っかかるんですよ、「これは何回目だろう?」という懐疑に。アルバムだから勿論通して聴くんだけど、基本的にリピートさせてるから意識しないとまたWHITE OUTに戻ってる。WHITE OUTに始まってテッツマンで終わるじゃなくて、WHITE OUTに始まってWHITE OUTに終わる。だから中間に続くPretender〜empty tearsまでの懐疑・反感・寂寞の流れがひどく重い。


…もうちょっと詳しく書こうかと思ったけどすごく暗くなるからやめとこう。今鉄六さんを解釈すると非常に危ない気がする。自分がって言うか、彼に対して。失礼だからね。やめとこう。