とか言いながら一冊くらいしか読んでないけど

いつも休日は寝て過ごすのですが、今日はそれに「読書」という時間を付け加えてみました。

………。

本音の所は、家が暑くてかなわなかったので、「そうだ!図書館なら涼しいはず!」と思い立ってついでに本を読もうと考えていた程度だったのですが、涼しいどころか人が密集して暑さ倍増(冷房が入るのは七月からだとか…)、席もなく仕方なしに数冊借りて帰宅したという次第で。哲学関連二冊、心理学関連六冊。これからの忙しさを考えれば、二週間で読めるはずはないんですが、心理関係の本は参考書程度に借りてきたのがほとんどなのでまぁよしと。哲学関連の本はなんとなく。
で、今日読んだのは哲学の方。新旧の主だった思想家達の言説などをトウトウと書いてあるヤツ。大分初心者向の解説書みたいな感じでした。以下、あんまり理解できている気がしない状態ながら何となく思ったことをつらつら書きますが、ツッコミ所は満載過ぎるだろうと思いますので、それが「許せない」という人はご遠慮を。大丈夫な人は、心の中か、あるいは実際に突っ込んでおいて下さい(苦笑)



初期(大分昔)の辺りは、名前は聞いたことがあっても何を言ってたのかとかは全く知らない人ばかりだったので新鮮な気持ちでした。その中でパルメニデスという人の考え方は面白いなと思いながら「「存在の存在」ということ…なのか…?」と余りよく理解できていません(苦笑)わからんというより、わかっている気がしないって言うか(全てに共通/中途半端なメタ認知)。まぁ、その理解の幅で考え、それと人間を照応させた所、「パーソナリティ」の概念とは「近い」と表現するほど違うのだなと思いました。近いってことは違うから近いって表現があるわけじゃないですか。これは心理学の基本立ち位置と哲学の立ち位置とほぼ同じ感じ(あ、そういえば私心理学だって殆ど知らないんだった/おい!心理学生!)…に見える(保険)。社会枠を超越した自我同一性みたいな。だって、例えば某Tさんが、秘蔵の掃除機うっぱらってそのお金でハトに餌をまきながら「平和が大事だよね」とか言い出して、「peaceful world」とかいうタイトルの歌作ってソロ再開して、「君を好きになりますからね!ここにいますからね!」とか「何が嘘で何が本当なのかめっちゃ知ってる!」とかいう歌詞の歌まで出しちゃったりしても、それはもともとのTさんそのものであるっていう…とはいえそれを見て遠い目をしてしまう私は感覚主義なのであり…では感覚は「無」なんだろうか?と考えると………わからん。難しい…となるわけです。他、ゼノンのパラドックス、特にアキレスと亀の話はもう実生活に土着した視点しかもてない私には「わかるけどわからん」という感じ。
「????」な気持ちをそのままに次へ(一人一人に割いてるページが少ないので、書いてある内容以上のことがどれだけ読んでもわからない/バカじゃん)。ソクラテス以降は名前は知っているが内容はちょっとしか知らないと言う人がほとんどでした。ソクラテスについては「無知の知」という言葉で初めてその名を耳にしていまして(決してサクラテツではありませんよ/笑/でもアレで知った人が殆どかなぁ…)。小学校の頃に「無知の知」を拙く表現した詩を書いて先生に「ソクラテスがね…」と説明を受けたのでした。ただその時は今に通ずる低脳ブリで全く意味がわかっておりませんでしたが…(きっと詩の表現も「そう見えた」だけでそんな本質などなかったと思います)。心理学生としてとらえるならばメタメタ認知って所なんでしょうか(そんな言葉はない)。
その後プラトンイデアについて説明している文章で言語の一例にピクッと反応したり(本の著者の書き方に、と言うこと)アリストテレスで「アリスちゃん」とか思ったり(帰れ)。「魂の完成」は「完成」なの?「完成」ってアリなの?それともそれを目指し続ける永遠の「可能態」なの?「完成」が永久に手に入らないものなのだとしたら、「疑うことより信じる方が楽なだけ」という真理も社会生活を送る上では仕方のない事実であるような気もする。でも実際Tさんは「疑って」いるけど「信じて」いる、「信じて」いるけど「疑って」いるよなぁ。間を取っているんだから本来楽に生きることができるはずなのに寧ろ遠ざかってる辺りがミラクルメーカーだよなぁ。なんて失礼なことを思ったりするのでした。
その後をツラツラ見ていると、どうしても時代背景を無視できない学問ということもあって宗教色を強く感じました。多分古代哲学の汎神論的考え方あたりは日本人的にも結構受け入れられるんだけれども、唯一神たる存在を主軸に据えられると少し難しい。感覚的にね。そして個人的にでもありますが(保険その2)。
さて。有名なデカルトすっ飛ばしてカント。両者とも名前は知っていて言ったことも何となく知っていたのに内容をあんまり知らなかったと言う無知無智無恥な事実。私自身の内省として、コペルニクス的転回に「そうだよなぁ」と思うあたり感覚・知覚に対する支配欲が強いのかもしれない、対象が認識に従うっていうのは。物自体に対してじゃなくて、自らの知覚経験を精神性の支配下におくのは当たり前にできるはずなのに、二人以上人間がいるとどうしてもね、一人では生きていけないからか…でもそもそも「認識」って感覚自体が…うーむ…。互い枷だなぁ。
現代哲学、思想に来ると、最近本を読んで少しだけ知っている人々がちらほら。ソシュールフッサールウィトゲンシュタインフロイトラカンフーコー。ただフッサールフーコーはまだほとんど見っけられない。でも非常に読んでいて面白い。時間さえあれば…(こんなん書いてる暇があったら)と思いつつ、夏期休暇で必要な本と合わせて読めたらなと思っております。特にウィトゲンシュタインラカンは非常に興味がある。ラカンとかTさんにオススメじゃないだろうか。あ、ダメか追い詰めてしまうか(おい)。フロイトは嫌でも読まなきゃいけな…い…かも…。

付け焼刃どころでない二時間読書の知識でテキトーなことぶっこいて申し訳ありません。本職さんには刃で刺されても後ろ指を指されても言い訳のしようがないほどバカなことやったと思いました。でもこうしてまとまらないようでもまとめると、自分がどういう解釈をしているのかを少し客観視できる。もう一冊哲学体系に関する本を借りているので、それと合わせてもう少しマトモに理解に近づけたらと思います、特に興味がある人くらいは…。ちなみに、上で名前出さなかったけどキルケゴール実存主義は個人的に非常に興味がある。しかし説明されていた内容は結構ヒューマニスティックな印象を受けたのに著書に怖いタイトルのヤツありますよね…読んだことはないからなんともいえませんが、もしアレで明るい内容だったら笑うしかない(苦笑





…どこが知的?