ブログ編集デザインが変わっている…

そう言えば「テスト中」みたいなのがちこっとどっかに書いてあったような気も。キレイだけど前の方がまっすぐな気がしていいというのは個人的慣性。否感性。まぁいいや。
そして今日は思うことと生活を取り混ぜごちゃまぜな(笑)内容となっておりますので読みづらいかと思われます(オールウェイズとか仰らないでくださいオールライトでありますから/苦笑)





最近忙しくしていますが結構元気です。資料探しの合間にネットサーフも一応している不届き者です。でも勇気がないことには少し問題を感じながらその勇気って何よというアレにはまぁアレなのでアレです。とりあえず最近「価値観が一変するようなことがあった」ということ。いまだ既成の考えが残り葛藤しておりますが、「知ったこと」はそれ自体何の目的があるわけでもないし、あったとしても既存の価値観を駆逐したいと思うわけではなくて「知った上で」新たな価値観を構築して欲しいというだけのこと。グラグラ考え煮たり茹りの思考ですが、とりあえず「思考停止はしない」を一つの目標にあげておこう。っていうが原則に。


…うーん、私はこういう自己満足的な文章を書くことをやめようと大分前の日記で語っていたような気がするんですが(05/08/10)…。省みても何もないというのは過去の自分に対する冒涜ですよなぁ。なんとかしなくちゃ…ハァ。
これはここではない某所で言ったことがあるんですが、私にはどうも「とにかく直情的な表現を避けたくなる」気質があって。その時は「人となりを見破られたくない、わけではない」みたいに弁明したんですが、実際考えてみるとやっぱり「人となりを見破られたくない」のでしょう。というかこういう言動自体が「人となり」を表していると思いますが…。うんうん。


そうそう。最近周りに五月病患者が多いです(苦笑/笑っちゃいけないのだが)。結構深刻な事になっている人もおおくて、週に一度は連絡を取って、会えるなら会って二時間、三時間くらい食事をしながら話を聞きます。一人など全く連絡すら取れなくて、非常に心配しています…友人関係皆連絡がないそうで(こちらからしても、返事がない)。ヘンなことになっていなければいいのですが…。
あるいは、非常に大変な問題を抱えている人もいたり(家族内とか)、事由は軽微だと笑いながらも深刻に悩んでいる人もいたり。「キッカケ」「理由」に軽重はありません。というか「悩む」現象に焦点を当てるべきであって、その「事由」をいくら取り沙汰しても意義がない。取り除けるならそれが一番簡易な解決ですが、「そう」考えたことと向き合わない限りは同じことが繰り返されないとは言い切れない。
そしてまた一人などは、今までに見せたことのないほどの落ち込みを見せていまして。「自分でも何が原因かはわからない」と言っていました。最初は簡単な小話、世間話をしていて、二時間ほど談笑していた時にふと「環境が変わったことが原因かもしれない」とつぶやいていました。そしてそのことについてしばらく話をして、ある程度元気が出てきたとのことだったので送り届けました。
別れ際に、本当に今まで見たことがないほどの塞ぎこみようだったので、思わず「もしかして、「頑張ろう」が合言葉になっていないか?」と尋ねました。その友人は「それはないけど、「大丈夫」って言うのは癖になってる」と言いました。私も忙しくなると「頑張ろう頑張ろう」が合言葉になりがち(意に沿わないそれが長く続くと危なくなる)なので「それは言わないようにしなさい」は難しい話かもしれない。なので次のように言いました。
「言わないようにしろって言ったら、することに罪悪感を感じて余計思いつめるかもしれないから、それは求めない。それから、今から言うことは、できれば多くが望まれるが、そこは無理をせずに、十回に一度、二十回に一度でもいいから、どこかで一度でも試してみてくれたらいい、そんな軽い気持ちで聞いて欲しい。
「大丈夫」「頑張ろう」を言った後に、最後に一度、語尾をあげたりして、疑問形で言ってみて欲しい。「大丈夫、大丈夫、大丈夫。…大丈夫?」みたいな感じで。独語が恥ずかしいなら、内言でもいいから。そこで、考えて、すぐに「大丈夫」って口に出せなくなったら、「大丈夫」じゃないかもしれないから、自分を心配してあげて欲しい。そしてできれば、誰かに、私も含めた選択肢の中の誰でもいいから、そして具体的でなくともいいから、一緒にいて話をしたり、聞いたりしてみてほしい。絶対に、そういう時に一人でいてはいけない」


これは個人的によくやることです。結構、毎回の口癖に適応できるものではないんですが(条件反射的なものもあるから)、ため息を伴う「頑張ろう」の後には、「…頑張れるか?自分」見たいな感じで自問します。それで「頑張れる」と自答できればもう少し頑張ってみて、「少し疲れた」となったら休息をとる。甘い囁きに弱いとも取れるんですが、その指摘は否定はしませんが、その甘い囁きに耳を傾けたおかげで今ここに立っているのかもしれないと思うと、やはり無理ばかりがよいことではないと思います。人間一日二十四時間、その内の四分の三を働いて一は休むのは当たり前なはず。それがどんどん小さくなって、もし零になってしまったら、その人はきっと生きていない(数週間が限界だった気が。不眠)。これが詭弁ととられるなら、私は最終兵器「ヒラキナオリ」を出しますぞ(笑)


もう少しで六月になりますが、五月雨いつまで続くやら。なるべく早く、無理ならせめて梅雨明けと共に、いい加減ヤマイダレともお別れしたい所。ヤムナシ?