意味を探ることに意味を持たせる必要があるな。


いえ、ふと考えたのですが。
このブログがさりげなくも人様の目に触れるかもしれない機会を得た今(今までですね、慣れるまでと思いましてですね、誰一人見ることないよう密やかに、しかし口調は語りかけのような虚しい作業をしておったのです/笑)、私のこの徒然に対する姿勢を考える必要があるんじゃないかと思ったのです。(注:以下は全て自省ですがくだらない上ウザッタイ(ねちこい兼意味わからん)のでそういうのが耐えられないほど嫌いな方は読まないことをオススメしておきます)




私は「最初にお読みください」のあたりで、「言葉も何もジョウジレベル」とほざいておりましたが、実際…何と言うのか、自身のカテゴリ化を自らが進んで行っているという段階に入っているのだから、せめてそれに対して相応であることを「努力する」というのは義務と言っても過言ではないと思うのです。
ああー、こう言葉を濁す(しかも日本語が不器用なのに)と余計わかりづらいんですが…。

私はこのブログに関して、自分の表現方法において好悪と事柄以上の意味を持たない事実説明以外を徹底して排除したかったんですね。
それは何か一つ意見を発言する時、その意味が広範ととらえられるよう、世間の中に既に概念が固定して出来上がっている形容を使うことを避けることが第一でした。それは特にマイナスなイメージがもたれているものを。
そしてその次に重要視したのは公私の徹底した分離です。「私は」こう思う、「私は」こうである、のように、決して自分の中で判定したことを、もし世間と若干の一致が見られたとしても「これはこうだ」と決め付けることだけは避けたいと思ったのです。


ただですね、これをしていると、それも文章を正しくつづることのできない人間がすると、本当意味の不明な単語の羅列にしかならないんですね。
意味の不明な単語の羅列なんて、見ていて誰が面白いかという話なんですよ。
でも今までそれを知りながら、「ま、いっか」と思っていた自分のことを今振り返っているのです。
(あの、今更かもしれませんがこれ全て自省です、自分に思ってることですからもし上記に該当するかもしれないという方がいらしたとしてもそれとは全く関係ないです/というか人様のものに対してそういった感情を抱いたことはないんで)

とはいえこれ可能不可能の話も含んでますから(人間自分の身の丈をそれなりに解ってます)、それを踏まえた上で思ったことは、「そこで終ってはいけない」ということ。
「ジョウジレベル」という言葉を前置きすることで一応の予防線をはる、ということはもう仕方がないと思ってはいるんですが、問題はそこじゃなくて「まぁ好きなように書いてるんだし、自分が面白ければわかってもらえなくてもいっか」と諦めてしまいかけていたことなんですね。自己満足の自己完結、とでも言いましょうか。
例えるなら、マラソンで「どうせ鈍足だし最下位でいいや」で最下位になるのと、「最下位かもしれないけど頑張ってみよう」で最下位になるのであったら、カッコ悪くうつるだろうけれど私は後者の方でありたいわけで(偽善に思えますけどね)。結果より誠意に重きをおきたいのだから、その話をこちらに戻してみまして、
「意味不明な内容になることには自分なりの理由がある(その正当性はこの際外して)のだけど、それでもやっぱり意味の伝わるよう「努力」をしよう」
というキモチなわけです。


自分のサイトとかに引きこもって適当に書くのはそりゃ勝手なんですが、最初に書いたように、見られる範囲というのがある程度方向が定まっていて、しかもその集団に形だけでも属しているのなら、多少なり迎合の努力は必要かなと。完全に同化しろということではなくて、自分の意を曲げろというわけでもないんですが、曲げないこと=貫くこと、ではないと思うんですよ。日々少しずつ何らかの変化があって、それは決して過ちでも挫折・頓挫・迂回といったものでもないでしょうし。「努力」の必要、とはそう言う意味。



↑↑この文章は少しあたため…というか、冷やしておいたものです。
自省というのは内容のことで、思うきっかけはまた別にありまして。
(私はAを見てBを連想するような人間ですので上記内容はAではないですよ)
めずらしく苛立ちというか、不快感というか、そういったものを感じた時に自分を振り返って、またそこから違った方向で見てしまったんですが、とりあえずその時はあまりに感情的になりすぎていたので暫く沈静のための時間をおこうと思った次第。ので上記文は書いてからだいぶ経ってます。
感情的と言っても「きぇー!(天人唐草/山岸凉子)」とかなるわけではないんですけど…うん、あんまり「私は今不愉快だ!」とか思うことがないので、自分自身の目に見えて不快な思いをしたのはとても久しぶりなのです。
しかし…まだそれを引きずっているのに、それでも戸惑いの方が強いのは、本当に久しくこの感情が無かったからなのかもしれないですね。正当性を挟む余地がないほどの私情です。


↑↑…と、こういつもより激しめに(当社比)書いては見たものの、そんな大したものではないんです。敵意や害意、悪意を持つのではないんですが、好感は持てない。それ程度の話。それが、上のように(今日の記事。私の書き方に対してですよ)書くと、そこには悪意がうかがえる(can・can'tの話)。あたかも対象があるような。
自分で思っていること以上に発展する可能性がある、それがネガティブな方向であった場合、誰であろうとそこに不快な印象を持つと思うんですよ。こういうのが嫌なのは変わらないんで、多分こんなことを書くのは今日位じゃないでしょうか。ご気分を害された方がいらしたらすみませんです;


でも本当になぁ…世の中色んな考えの人がいるとわかってはいるし、自分は自分であればいいと思うんですが、どうしても考えてしまうこともあるのです。←言い訳

……小人精進!