ふと思ったんだけど

これからバイトなんで帰ってきてから力が残ってたら調べよう、と思うんですが。
某鉄六さんの「蜃気楼」で、 いきはよいよい かえりはこわい という面白い歌詞が存在していますよね。これは有名な童話?童謡?の「とおりゃんせ」から来ているものと思われますが、彼はこれをどういう意図で使ったんでしょうか。ただの語呂なのか、意味のつながりがあるのか。
私はこの突飛な使用法に驚き面白いと思うだけにとどまっていたんですが。この前ルパン三世のビデオを見ていた時(唐突だな/笑)に、峰不二子がこの「とおりゃんせ」を歌っていたのを聞いたのです。その時、きっちりはっきりはじめてこの「いきはよいよい かえりはこわい」の続きを知ったんですよ。確か著作権はもう消失していたと思うので(作詞者不明でもあるし)、ちょっと歌詞を下に記述。

とおりゃんせ とおりゃんせ
ここはどこのほそみちじゃ
てんじんさまのほそみちじゃ
ちょっととおしてくだしゃんせ
ごようのないものとおさせぬ
このこのななつのおみまいに
おふだをあげにまいります
いきはよいよい かえりはこわい
こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ

          とおりゃんせ/童謡

この「こわいながらも とおりゃんせ とおりゃんせ」が、気になる。
当時のテツさんとしまして、この「こわいながらも」以降の意味を含めていたのかいなかったのか。
ダブルミーニングはハイさんの得意とする所のよう、テッちゃんも同じくありたい気持ちがあるのかは不明ですが、私は彼の歌詞には意図的な、あるいは非意図的な制限(狭さ)を感じていて、またそれと同時に意図的、あるいは非意図的な広がりをも感じていまして。さらに言うなら、その選択を詞の上では許可している選択の幅、が魅力だと思っているのですが(言ったらおしまい、な所がありますがある意味それこそが彼自身)。この歌詞についても、広げれば広がるものがあるんじゃないかと思います。
そもそも「とおりゃんせ」自体が不可思議な内容なので、調べてみると面白そうだなと。個人的にですがね<調べる 歌詞は人の解釈が面白いので私は結構狭く受け取る派です(笑)