ダイッキライだ。

タイトル通りの内容です、血液型性格診断を肯定する意見とはかけ離れています、はっきり言ってしまえば完全否定です。上記を信じている方、或いは何かを批判するような文章の苦手な方(とはいえそこまで酷い書き方はしませんが)は申し訳ありませんが先を読まれないことをお勧めします。





 血液型性格診断については、過去どこかで「嫌いだ」と明記していたと記憶しているのですが。
 実はあの後すぐまぁ素敵な…ことがありまして(@実生活)、まさにハラワタの煮えくり返る思いを抱えながら、でもあまり感情的になってはなぁ…と思い、本日まで冷ましていたのでした。

 さて。
 素敵なこととは書きましたが、当然全く素敵なんかじゃありません。
 あてつけとしてその表現を選んだのではなくて、嘘でも好意的な表現をした方が再燃しはじめた怒りも収まるかと…思ったんですが、逆効果ですね。まぁいいのです。
 と、ぐだぐだ書いてもしかたがない。以下、遭遇した場面のセリフを羅列。

知人1「私の友達がB型でさぁ、もうすっごい自己中で話にならない」
知人2「Bの人って人の話を聞かないよねー、マイペースっていうか」
 私 「何で血液型が関係するの?」
知人2「ジョウジさん血液型診断知らないの?あれ結構当たるんだよね」
 私 「あれ、心理学的にまだ立証されたわけじゃないよ。それだけで人を判断するのはどうかなあ」
知人1「付き合ってみても大抵Bの人って同じだし。あ、もしかしてジョウジさんB型の人?」
 私 「そうだけど…」
知人2「まあ、自分のが悪く言われて嫌なのはわかるけど…私の近くの人は大抵当たってるって言う意味で。ジョウジさんはそうじゃないけど」


 …悪く言われたことは確かに嫌ですよ。
 大抵の診断見てても、B型の人格をこれでもかってくらい否定してて。「そうじゃない」って声もあるかもしれませんが、私はこれ基本的に嫌いで見てませんので詳しくはわかりません。(見なくても誰かが教えてくださいますから本当)
 でも、もし他の血液型が悪く言われていたとしても、それは嫌だと思いますよ。例え自分の血液型が褒めちぎられてたって嫌ですよ。だって、血液型なんて自分じゃどうしようもないことでしょうが。努力したらBがAになるのか、怠けたらOがBになるのか。そうじゃないでしょうが。
 自分ではどうしようもないことで、好悪の印象が普遍的に認知されている評価をされるって言うのは、差別以外の何物でもないんじゃないんですか。黄色人種は白人黒人はとか、男は女はとか、そう言う言われ方をしたら皆嫌なんじゃないんですか。
 そして一番本当にやめてほしいのは、「私の経験上」という、もはや血液型診断の枕詞とも言える前置き。最初から「●だから」どう、とかではないとしても、結果●になったという経過を報告する際の、「やっぱり●だから」という言葉。先入観や偏見は肯定すべきではないですがなくすことは難しい。でも、それを上記のような表現をすれば、肯定しているのと同義ではないんですか。今まで大抵そうだったからそう言いきる、それをまた発言する。その言葉に傷つく人間だっているんですよ。そしてその発言が更に、「それが事実である」という根拠のない空気を作り出していく。本当、うんざりする。

 今のところ、血液型と性格に関しては、確かな関連があるとも、ないとも言い切れない現状です。現状としては連関は低く、「ある」と立証するに至るほどの有意差はでていませんが、それがすぐ「ない」と言いきるほどの根拠には結びつかないからです。
 ですが、そういった科学的な立証もない(繰り返しますが事実は不明です)ことをおおっぴらに、あたかも「ある」かのように、しかも当人にはどうにもできない先天的なものを利用してカテゴライズすると言うのは、どうなんでしょうか。しかもその中には、著しく貶められる、或いは好意的な解釈のしづらいような形容もある。たとえ「●型の人」に「■■な人」が多くとも、「■■な人」=「●型の人」というステレオタイプな見方をする風潮を作り出すのは、どうなんでしょうか。一時期、一々怒るのも嫌になるくらい、上記の流れを作り出そうとするテレビ番組が蔓延っていましたが、今は下火のようで、本当によかったと思います。

 最後に。この性格診断のシンパはかなり多いようなので、一応最初に注意を呼びかけたものの最後までお読みになった方がいらっしゃるかもしれません。私も心理学を齧る者とは言え、知識などまだまだ未熟ですから、穴だらけの立脚不十分な批判にお怒りの言葉もあるかもしれません。
 でも本当に、ああいった、自分じゃどうしようもないことをとりあげて何かを言われるっていうのは、とても辛いんです。「くだらん」と思われるかもしれませんが、本当に。「お前がBでBが悪く言われるから過剰に反応してるんだろ」と言う言葉には、「その通りです」と答えますが、私個人としましても実際は、やられる側とやる側、傍観する側の三者では「やる側」「傍観する側」に援護してほしいのです。でもそれはとても少ないから、自分で言うんです。
 わかりにくい文章で、うまくまとめられていないことが非常に情けないのですが、こういう意見もあるんだよということが少しでもわかっていただければ嬉しいです。しかし、同じ思いをしている人はいないんだろうか。身近にはとりあえずいなくて、悲しい限りです。