消滅。

頼むぜダンナ…それはそうとこれ 福岡いじめ自殺:事件後も別の生徒に繰り返す 同グループ

(下のほうで履修不足問題についても触れています、情緒を安定させたい当事者は読まないように)



もう、なんか開いた口が塞がらない。鬼畜。でもそんなこと、当たり前だなんて冷静になってしまう部分もある。
履修不足問題でもそうですが…いつまでも「子供は守るべきもの」「子供は常に被害者」な考えは通用しないんじゃないですか。というか、むしろ被害者だからこそこっちが贖罪の方法を示してやらなければならない。
大人は、どんなひどいことをしてしまっても、その責任をどう取るかすら自分で決めなければならない。社会的信用や人物評価、全てを損なうことをどうやって取り返すのか、そもそも取り返すのかと言うことすら自分で決める必要がありますよね。
でも子供は、逆に教えてあげるくらいがちょうどいいんじゃないかと。「あなたたちは悪くないの」で終わったら、いきなり大人になって、つまり二十歳を超えた瞬間に大人と同じ対応を迫られるようになる。そんなんできるわけないです。自ら学ぶ機会を奪われているのですから。
その上、子供なんて本来ずるがしこいんだから(純粋なんて幻想はいい加減捨てたほうがいい)、「悪いことをする=罰を受ける」、というプロダクション・ルールに、第二法則として「しかし、バレない場合はその限りでない」なんてのがつくのは世の常で。それで「バレた=しかし怒られない」なんて判例を出してしまえば、そもそも悪いことをしているんだ、という意識がなくなるわけですよ。これじゃぁいくらその後天声人語を書かせようが経典を書かせようが正座させようが道徳教育を施そうが、ムダ。世の中の倫理観の転覆を目の当たりにしたら、もうそういうもんなんだと思っちゃうじゃないですか。このニュースは、本当に…言葉にしづらい。

それに…履修不足の問題、三分の二あるいはレポート提出で結論出たそうですが。私は文科大臣の意見に同意です。というか、何で教養という目を持てず「必要ない科目は見直す必要があるんじゃないか」なんてアホな意見が、所謂識者とか言われる人から出てくるのか、サッパリわからない。教養ですよ!あれは!受験受験て、そんなに大学進学だけが大事なんなら高校なんて行かなくて、予備校通いで大検でも取ればいいじゃないですか。何で高校行くんですか?高等教育受けるためなんでしょう?所謂いい大学にいきたい、それは別に否定しません。学歴も大事です。でもですね、大学って専門教育の場なわけで。モラトリアム満喫でもいいんですが、色々ある様々な分野の学問の中で、それまで生きていた経験や、学んだことを踏まえて、もっと深く進みたいと思うような、そういった踏み込んだ学びの場であると思うわけです。だからこそ、広く広く勉強していることは大事なわけで…。インタビューで、「受験に必要ないものをこれからやらなければならないなんて嫌だ!腹立たしい!」ていう異見を聞いて、私は悲しくなりました。所謂「ヒガイシャの強み」であの発言があるんでしょうけれど…勉強というものは、そうやって受け取られているんだなと思うと、何だか…。
まぁ、確かに今の時期にと言うのは辛いのかもしれない。(とは言え、本来履修漏れがあった生徒はこれから「学べるのに学べなかったことを勉強することができる=損をなくす」ことができるわけであり、これを「入らない科目だから損」なんてうけとると、まともに履修していた人たちが逆に同じ時間だけ損になるわけで…これが通れば、何度でも同じことは繰り返されると思います。バレても減刑なのだから)
だから、私は現在の結論にプラスして、春に完全に補習を受け、それでよし、と言う形を取ればいいんじゃないかなと思いました。


…でも本来は、別に全員ダブッてもいいんじゃないかと思うんですが…。一人、二人で浪人はイヤかもしれませんが、別にいいじゃないですか。全員なんだから。推薦に響くっていうのなら、それこそそういう場合に事情を説明して、で。むしろその方が、他の人より猶予期間が長くて勉強もできる…三年で狙おうとしていたハイランク大学を四年で狙うことができるわけだし、履修不足もきちんと履修しなおすことで不公平をなくすことができるし、当人達も本来受けることのできた教養を失わないで済むわけだし。一石二鳥どころか三鳥。別にストレートで卒業できなかったらダメというわけじゃない、卒業できないようなことをしたことに問題があるわけで、留年=悪という同一視はやめたほうがいいです。